History of Keio Wrestling
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◆主な個人戦績◆
稲葉 利勝 S.14 全日本フライ級優勝
安次富長陸 S.17 全日本バンタム級優勝
武藤 一夫 S.21 全日本フライ級優勝
渡辺 秀夫 S.21 全日本フェザー級優勝
水谷 英男 S.22 全日本ライト級優勝
三原 和男 S.22 全日本ミドル級優勝
武藤 清助 S.24 全日本バンタム級優勝 S.26 全日本フライ級優勝
菊間 寅雄 S.25 全日本ミドル級優勝
北野 祐秀 S.27,28 全日本フライ級優勝 1952年ヘルシンキオリンピック フライ級銀メダル
島村 保行 S.34 全日本フェザー級優勝
◆ 年 表 ◆
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昭和 | 主な出来事 | 部長 | 監督 | 慶応義塾の歴史 |
7年 | 大日本アマチュアレスリング協会が結成され、塾からも慶應レスリング有志会の名で五島三雄、安東喜四夫が出席した。 | |||
9年 | 早春の頃、菊間寅雄レスリング部創設を決意。 9月16日日比谷公会堂での日布対抗戦に菊間寅雄ライト級に出場。 11月5日三田レスリング倶楽部設立。会長濱田恒一。 クラブ練習場を早稲田大學道場から三田公道会道場に移す。 |
慶応義塾日吉キャンパス開校 | ||
10年 | 2月10日ベルリンオリンピック第一次候補選抜大会に菊間寅雄、北原俊、熊倉正彌出場。 4月21日 日比谷新音楽堂にて第1回早慶対抗戦を開催。 5月12日菊間寅雄欧州派遣団に加わり神戸を出帆。9月5日帰朝。 10月東京三大学(慶早明)リーグ戦はじまる。 12月練習場を恵比寿駅近くの光風会道場に移す。 |
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11年 | 10月専修が加盟、四大学リーグになる。 10月にクラブ練習場を渋谷常盤松町の天行会道場に移す。 |
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12年 | 7月アメリカチーム来日、日米対抗戦に菊間寅雄、武田道明出場。 | 永澤邦男 | ||
13年 | 5月にフィリッピンチーム来日、対抗戦に菊間寅雄、稲葉利勝、松内則明、戸張樹一、渡辺秀夫出場。 夏、慶応義塾体育会塾内対抗競技部新種目団体に加盟。 秋の四大学リーグ戦中止。 11月アメリカ遠征チームに稲葉利勝、松内則明参加。1月帰国。 12月フィリッピン遠征チームに菊間寅雄参加。1月帰国。 |
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14年 | 11月立教の加盟により五大学リーグに発展。 | |||
15年 | 春リーグ戦に代えて関東学生選手権大会が行われた。 | |||
16年 | ||||
17年 | ||||
18年 | 部活動休止状態となる。 | |||
19年 | 工学部増設 | |||
20年 | 部活動復活の動き起る。 | 渡辺秀夫 | ||
21年 | 綱町の柔道場を練習場とする。5月体育会加入。7月全早慶戦を実施。11月リーグ戦復活。 | |||
22年 | 秋のリーグ戦から一部四校になる。 | 男女共学の実施 | ||
23年 | 塾に高等学校が設立される。 | |||
24年 | 高校にレスリング部創設。 | 井口幸男 | ||
25年 | 菊間寅雄 | |||
26年 | 日吉校舎蝮谷に練習場を移す。 4月、リーグ戦八大学総当りとなる。 9月、秋はリーグ戦に代えてトーナメント方式による王座決定戦になった。 11月17日中断していた早慶定期戦復活。 |
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27年 | 7月ヘルシンキオリンピック大会に北野祐秀代表として参加。 | |||
28年 | リーグ戦一、二部制に戻る。 | |||
29年 | この頃、OB会が組織化されレスリング三田会として発足。 アジア大会・世界選手権大会に北野祐秀参加。 |
廣川 卓 | ||
30年 | 3月21日創立20周年祝賀会を芝パークホテルにて開催。 4月副部長太刀川孝康になる。 11月トルコチーム来日、東京大会に今井清吉、伊藤勉、小久保昌等出場。 12月4日関西大学と定期戦を始める。 |
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31年 | 11月メルボルンオリンピック大会H級代表として中尾三郎出場。 | |||
32年 | 2月小久保昌、八田正朗遠征チームの一員として渡米。 6月イスタンブールでの世界選手権に島村保行B級代表として参加。 7月来日したアメリカチームとTVSスタジオで全慶應軍が親善試合を行う。 |
商学部開設 | ||
33年 | ||||
34年 | 2月アメリカ遠征チームに橋本精二、中西一朗、青木廣彰、梅澤譲参加。 4月25日、旧柔道場(蝮谷)に練習場を移す。 4月腹部長大村信になる。 |
鈴木 徹 | ||
35年 | 2月5日アメリカ遠征チームに審判員として小久保昌・選手兼マネージャーとして佐藤孝之、選手として梅澤譲参加。 6月25日入れ替え戦に破れ二度目の二部転落。 8月ローマオリンピック大会に北野祐秀(監督兼コーチ)、戸張樹一、眞田雄(マネージャー)参加。 |
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36年 | 3月5日学生選抜渡米チームに中西一朗、橋本精二、最首富夫、八田忠朗参加。 6月30日入替戦に勝ち一部に復帰。 |
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37年 | 大学付属ビジネススクール発足 | |||
38年 | 10月10日入替戦に敗れ二部転落。 | 眞田 雄 | ||
39年 | 10月24日上野東天紅にて創立30周年祝賀会開催。 11月30日入替戦で敗れ二部にとどまる。 |
今井清吉 | ||
40年 | 4月部長交代宮澤浩一になる。 | 宮澤浩一 | ||
41年 | ||||
42年 | 3月学生選抜渡米団に佐藤勝参加。 3月大津信行モスクワ遠征チームに参加。 4月副部長福島惣一郎に代わる。 6月29日オクラホマ州選抜高校チームを日吉に迎えて、塾高校チームと親善試合を行う。 |
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43年 | 棚川 穣 | |||
44年 | 2月高校選抜ハワイ遠征チームに福島惣一郎(副部長)及び高橋信之、三留正之参加。 | |||
45年 | ||||
46年 | 6月6日二部優勝決定戦に勝つ。 6月13日入替戦に勝って九年ぶりに一部復帰。 |
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47年 | 6月11日入替戦に破れ四度目の二部転落。 | 江中一男 | ||
48年 | ||||
49年 | 5月19日創立40周年祝賀会をレストラン・ニッポンにて開催。 | |||
50年 | 大津信行 | |||
51年 | ||||
52年 | 佐藤 勝 | |||
53年 | ||||
54年 | 7月、アメリカ・ミシガン州VSA選抜チームが八田正朗の引率で来日、交流試合等実施。 11月24日創立45周年祝賀会を銀座交詢社で開催。 |
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55年 | ||||
56年 | 工学部を理工学部に改組 | |||
57年 | ||||
58年 | ||||
59年 | 創立50周年祝賀会開催。 | |||
60年 | リーグ戦 二部3位 早慶定期戦 2-7 |
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61年 | 創立50周年記念誌『若き血に燃えて』発刊 リーグ戦 二部2位 早慶定期戦 4-5 |
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62年 | リーグ戦 二部2位 早慶定期戦 2-7 |
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63年 | リーグ戦 二部2位 早慶定期戦 2-7 |
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平成 | 主な出来事 | 部長 | 監督 | 慶応義塾の歴史 |
元年 | 安富 潔 | |||
2年 | 早慶レスリング定期戦40回記念大会 | 湘南藤沢キャンパス開校 ニューヨーク学院(高校) 開校 |
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3年 | ||||
4年 | 蝮谷レスリング道場新築 | 大和田充 | 湘南藤沢中等部・高等部 開校 |
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5年 | ||||
6年 | 中川原匡信 | |||
7年 | ||||
8年 | ||||
9年 | 吾田鉄司 | |||
10年 | ||||
11年 | 創立65周年祝賀会蝮谷レスリング道場にて開催 | |||
12年 | 専修大レスリング部OBの馳浩議員講演会 早慶レスリング定期戦50回記念大会 祝賀会を日本橋たいめいけんにて開催 |
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13年 | 塾レスリング部公式ホームページ公開。安冨部長退任に伴い、9月より新部長:坂上貴之教授就任。 | 坂上貴之 | 看護医療学部開設 | |
14年 | ||||
15年 | 大津信行 | |||
16年 | 創立70周年祝賀会三田キャンパス山食にて開催 | 中川原匡信 | ||
17年 | 宮原秀一郎 | |||
18年 | ||||
19年 | ||||
20年 | 北原 義之 | |||
21年 |