昭和三十三年四月大學入學、三十七年三月卒業の我々にとって『レスリング生活で忘れられないこと最も強く印象に残っていることは?』と聞かれたら、全員が『三年の時、関東學生一部リーグ最下位、入替戦にも敗れ二部に落ちたのを、我々が四年の時二部優勝、苦戦を予想された入替戦も六−五で法政に勝ち、一部へ復帰を決めて卒業できたこと』と答えるに違いない。
小生は高校、大學と七年間レスリング部生活を送ったが、この法政との入替戦の時位、試合に出ている者出ていない者全員が一体となり、相手にぶつかって行くすばらしさを感じたことはなかったし、今でも同期の連中と会うとこの試合の話が出てくる。
では、當時の同期のすばらしい仲間達を紹介しよう。
樋口英雄
主将。通称ベース(顔の輪郭がホーム・ベースに似ている)。
合宿で、寝ている彼の頭に触っては、セーフ、アウト!と騒いだものだった。新人選手権ライト級三位、全日本選手権ライト級五位の実績を持つ。
現在、フジタ工業仙台支店勤務。
吉野俊郎
通称タッちゃん(昔の喜劇俳優横山エンタツに似ていると、同期の近藤が命名)。
浪人して入學・入部直後は骨だけの身体、途中で退部するのではと皆が心配していたが、最後まで頑張った根性の男。
リーグ戦最後の試合、法政との入替戦で、不利と云われた輿石選手との対戦に勝ち、塾の勝利を確固なものとした殊勲者。
現在、会計事務所主宰。
吉岡昭
通称“與太郎”。名門灘高柔道部出身。
同期の部員の中で一番女性にもてた男。
柔軟な身体で投技が得意であったが、現役時代は生活も柔軟性に富み、明るい話題をふりまいていたが、卒業後はすっかり心身共に固くなって、付き合いが悪いとの評判も。
現在、川崎製鉄勤務。
和田泰明
通称“タイメイ”
同期で一番のヘビー級。練習が終るとさっさと自宅に帰るので有名だった男。就職試験の身体検査に視力表を暗記して試験をパスしたと云うが、スパーリングの時、相手が見えていたかどうかは今でも不明。
新人戦ミドル級三位の実績を持つ。
現在、伊勢丹勤務。
安部彰
同期一の力持ち。プレイング・マネージャーとして活躍。主務で四年になっても試合に出ていたが、あまり例のないケースと思う。
廣く浅く女性を知っているという評判で、部の資金集めの〈パーティー券〉売りは一番上手だった。
現在、三菱樹脂勤務。
近藤晃一
通称“コンちゃん”“クロ”“ムーさん”等々数え切れず。
同期一のファイター。部内娯楽部長、鈴木監督の物真似の名人。高校時代應援指導部だったので、合宿の終り、納会の〆めは彼の指揮によった。彼の存在で、部生活は常に明るかった。卒業して二年目の三十八年十二月二十九日交通事故で逝去。惜しい男をなくしたと今もって悔まれる。
(昭和37年卒)
『慶応義塾體育會レスリング部五十年史』(昭和61年刊行)より