江中一男君を偲んで

木村吉隆

 江中一男君の悲報に接した時ほど、人間の命のなんとはかなく、他愛ないものかと感じたことはない。五十四年十二月十二日朝のことである。
 慶応義塾体育会レスリング部が、創立四十五周年の祝賀会を十一月二十四日に交洵社で行い、その時彼は楽しげに大声で笑い飲みかつ食し、我々で言う“バカ話”に酔っていた。奥様の香の子さんより知らせを受けた時『そんなバカな、あんなデッカイ丈夫な奴が・・・・・・。人一倍元気で働いて、騒いで、遊んでいたのに・・・・・・』二週間ばかり前の元気な姿を思いうかべ、とても信ずることは出来なかった。
 学生時代は私共の最良の友であり、選手としても大活躍し、OBとして、監督として、彼の高潔な人柄と人望により、現役とOBとのかけ橋として尽力された功績は大なること、慶応義塾体育会に関係する者すべてが認めるところである。彼は又熱烈な愛塾家で、慶應に学んだ幸せを常に口にしていた。又、友達を大切にし、友情に極めて厚かった。我々は彼を敬愛していた。すでに急逝されてから六年になるが、あの素晴らしい笑顔とあのぶっとい手で『ポン』と肩をたたいてくれるような感じがする毎日である。あまりに急なことなので、本人も天国へ行って、自分がつまらぬことで命をなくしたことに気がつかないのではないだろうか。まだ本当に働きざかりのまっただ中の四十一歳であった。どうか安らかに眠って下さい。そのうち必ずお会いしましょう。合掌。

 今一つ我々の同期でほこれる人物がいます。『ゴヂ』島村保行君です。彼は選手としては此処に書くことも不必要なくらいの、慶應の大選手であることは皆さんご承知のことです。中でも三十二年イスタンブールでの世界アマチュア・レスリング・フリースタイル選手権で三位になったことである。大学二年の時だと思います。廣川監督が何か彼が迷っている時など、『ゴヂ!表彰台に立った時を思い出せ!』と気合いをかけていたのを思い出します。ゴヂのよいところはレスリングの強いところ以上に気だてが非常にやさしく、責任感の強いところだと思います。彼は今でも江中君と共に我々の中心的存在です。

 他にも我々の同期には、ナメ・・・・・・浦山和雄。ドン・・・・・・河村邦博。ヤッコ・・・・・・黒瀬文夫。一太・・・・・・後藤一太。ビロン・・・・・・森大樹。ロク・・・・・・鈴木緑郎。あまりにハンサムで我々はハンデをもらいたい位であった似田菊雄(現姓久保)。外人みたいな白洲兼正。トーサンピンの武蔵徹哉。これがオールメンバーです。卒業して二十五年を越しました。
 我々の年代ですとそれぞれ仕事が忙しくて、顔を合わせることも少ないのですが、これも江中君のおかげで時々会ってバカ話が出来るようになりました。その時いつも話題にのぼるのは、四年の時主将であるゴヂは責任感が強く、我々はサボると彼からの電話がこわいので、重い足を道場に運んだものですが、そのゴヂが全試合が終った夜、神田のたしか雑誌社でストライキをやっていて、大きな旗が何本のも立っている所を通りかかった時、酔った勢いで二本ばかり引き倒したところ、中から鉢巻をした労組の人々が大勢出て来て、我々は囲まれてしまいました。その時一人逃げたのがいましたが・・・・・・。身分証明書は取上げられ、学校に通知すると威かされ真青になりました。当時我々は労組そのものをよく理解していなかったのですが、塾生たるものそんなことは言えません。全く困った思い出です。翌日一同真面目な顔で出頭し許して貰った恥しい一幕でしたが、こんなことも同期一同が一丸となる一つの要素だと思っています。

(昭和35年卒)

『慶応義塾體育會レスリング部五十年史』(昭和61年刊行)より