第十六回メルボルンオリンピック出場の想い出
・・・・・・相撲からレスリングヘビー級へ・・・・・・

中尾三郎

 WHAT CEREMONY!(何の儀式だ!)
 第十六回メルボルン五輪大会・エキシビジョンビル・レスリング会場、相手はオーストラリアのジャイアント・ミシェル、身長210cm、体重150kg(当時角界一の巨人大関大内山にそっくり)こちらはジャパニーズ・グランドレスリング学生チャンピオン、マスコミにはもってこいの見出し、前日から新聞で煽るものですから、館内は満員、私も特訓で鍛えられたといっても半年で相撲からレスリングに変身出来るとは思っていない、勿論その筋の大御所、八田監督も百も承知試合直前『中尾、四股を踏んで相撲をやって来い』との大発破、『よーし一発ぶちかましてやるか』開き直ってやる気十分マットの上で四股踏んでの出番、それをみてオーストラリアンが『WHAT CEREMONY!』と相成った次第です。

 勝負内容は、下手投げで倒したのが精一杯、十二分間フルに戦ったが二対一の判定で負け、相撲で負けを知らなかった私もくやしい一戦だったが、相撲で投げ技のない私がレスリングで下手投げと言う投げ技が出たと云うことで、せめてもの慰めだった。

 昭和三十年第二十四回学生相撲選手権大会に大学一年で優勝、身長174cm、体重127kg、当時では大きい方でアマチュア相撲では100kgを超えるものが、数える位しかいない時代、いきなり大学一年で優勝ですから、レスリング重量級の選手の養成に必死のかかっている八田会長の目にとまらぬ筈はなく、レスリングに勧誘された訳です。ヘルシンキでは石井、北野先輩が金銀を取り活躍され、それらの実績をバックにレスリング日本、メルボルンでは全階級入賞を目標とし、軽量級、中量級は達成可能なるも、重量級、特にウェイトに制限のないヘビーウェイトが期待出来ず、外国の大きい選手に対抗出来るようにするには、重量のある大きな選手を養成しなければということで、私に御指名がかかったように聞いております。私も当時は馬力も夢も有り、向意気の強い突進あるのみの20歳、世界が舞台のレスリング、非常に興味もあったことは事実だったが、高校相撲選手権大会に二年三年と連続優勝、引続き大学一年生で全国学生選手権大会で優勝、華やかにすぎたものですからその後三年連続優勝期待という重荷に耐えきれず、相撲に息切れをおこしていたことも事実だった。

 オリンピックの開催まで六ヶ月合宿合宿と鍛えられた。相撲で鍛えに鍛えられて少々のつらことには耐えられる私も、レスリングで一番つらかったのは練習始め練習後のランニングだった。127kgあった体重も大会前には105kgに減った。ランニングも4000mを18分台で走る様になり、苦にならない位までなっていた。12分間戦うスタミナが十分出来たが、相撲でいういわゆる相手へ圧力、瞬発力が減った様に思う。後日八田会長も語られていたようですが、ヘビーウェイトのトレーニングは中量級、軽量級と異なった方法でやらなければならない。つまり体力をつけることを第一に、スタミナを第二に、スタミナがついても体重、体力が減ることがよくないことだと。

 それから29年後、昨年の学生相撲界にとてつもなく大きく強い選手が出てきた。日大の久島啓太君だ。因に29年前昭和31年と昭和59年の大学相撲選手権出場選手の体重は76kgだったのが94kgになっている。(日本相撲連盟資料より)

 この様に日本人の体格も大きくなり欧米人並になってきた。もうぼちぼちヘビーウェイト世界チャンピオンが出てきても良いのではないか、又積極的に養成してもらいたいものです。29年前私の目指したヘビーウェイトチャンピオン、この私の夢を誰かにやって貰いたい。久島君や高校横綱の斉藤君あたりなら世界チャンピオンになれると確信する。

(昭和34年卒)

『慶応義塾體育會レスリング部五十年史』(昭和61年刊行)より